平成10年12月6日(日)
石見銀山散策コース


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石見銀山散策コース 石見銀山の 龍源寺間歩入口へ
採鉱への坑道口 石見銀山の絵巻
採鉱した原鉱の選別様子図 堀子はタガネを鋏で固定し鎚でたたき鉱石を掘る


参加者あるこう会12名(男5名・女7名)

石見銀山散策コースを実施。石見銀山は大永6年(1526年)博多商人紙屋寿禎(かみやじゅうてい)によって発見された。この銀山発見のきっかけは、「銀山日記」という資料によると「はるか南山を望むに嚇然(かくぜん)なる光有り」とあり、紙屋寿禎が仁摩町の韓島沖(からしまおき)を航海中に銀山が光ったためとされている。寿禎は、出雲の国の鷺の浦で銅山を経営していた山師清水清右衛門の協力のもと、領主である大内義興の許可をえて、3人の掘子(吉田与三右衛門、同藤左衛門、於紅孫右衛門)と共に銀鉱石を掘り出した。その当時人口20万人いたと記されている。事前にリーダー選択コースをみんなで元気良くウォーキング。銀山の学習と脚力アップに挑戦。また和気藹々に語らい、歓談し、楽しく一日を過ごしました。