会員トピックス回想録(SH時代)

シャープ時代の回想録

~カメラ付きケータイの衝撃(前編)~

筆者 河内 厳

後編をご覧になられる場合は青いボタンを押してください


2000年11月、J-PHONE向けに登場した「J-SH04」。これが“世界初のカメラ付きケータイ”として市場に放たれた瞬間でした。当時の開発陣にとっても「まさかここまで大きなインパクトを与えるとは」というのが正直な実感だったそうです。「最初はカメラなんて誰も考えていなかった。液晶をカラーにした延長で、まあ“カメラもあるよね”くらいの感じだった」(植松さん)。


実はカメラより先に大きな賭けだったのが、カラー液晶の採用でした。
「階調のあるモノクロか、リスク覚悟でカラーか。最終的には情報通信事業のトップだった森さんのスイスからのメールでカラー液晶に決まった」(山下さん)。

というのも、そのスイスでの国際展示会では他社もカラー液晶の携帯電話を披露しており、“唯一のカラー対応機”という優位は早くも揺らいでしまったのです。だからこそ、シャープはカラー液晶を軸に次の挑戦へ踏み出す決意を固めたのです。


そんな中、行き詰まりを打開する糸口となったのが 、またも森さんの一言でした。
「森さんが市ヶ谷で“こんな小さいカメラができたんや”と見せてくれたのがきっかけ」(植松さん)。

当時、京セラがカメラ付きPHSを出したり、三菱が外付けのカメラを提供したりしていましたが、大きな成功には至っていませんでした。社内にも懐疑的な声が多くありました。

「カラー液晶を搭載したJ-SH02(1999年12月)が、市場で高く評価され、次にカメラを載せる自信が持てた」(植松さん)。
「カラー液晶とカメラを融合すれば、誰も体験したことのない“楽しさ”を生み出せる」――そう信じて挑んだのです。

独自のデバイス開発 → 商品化 → 市場拡大 → さらなるデバイス進化への投資という好循環。ここから、シャープ独自の“スパイラル戦略”が動き出し、進化の歴史※が刻まれ始めました。※進化の歴史は後編でご紹介します。


――もっとも、その舞台を用意したのは、J-PHONEとの出会いでした――

カメラ付きケータイが世に出る約3年前。携帯電話事業においてシャープは弱小メーカーで、最大手のキャリアからは相手にされず苦戦を強いられていました。一方、J-PHONEも「メーカーから新しい提案がない」と不満を募らせていました。

そんな中、1998年1月にJ-PHONEの高尾さんから一本の電話が――。
「呼ばれた時がすべての始まり。潰れかけの事業部にとって、後に引けない勝負でした」(植松さん)。

ここから、新サービス「スカイウェッブ」に対応する端末の共同開発が始まります。J-SH01、SH02と積み重ね、そしてJ-SH04へ――。カメラ付きケータイは、まさに両者の生き残りをかけた“共同作品”でもあったのです。


J-SH04の成功を飛躍的に押し上げたのは、端末そのものの魅力だけではありません。J-PHONEが仕掛けた「写メール」サービスとの融合でした。「キャリアのサービスと一体化したことで新しい価値が生まれた」(長谷川さん)「シャープとJ-PHONEが一丸となり、“売りまくれ”と営業部隊の勢いがすごかった 」(植松さん)。

写真を送るという新しい体験は、人々のコミュニケーションを大きく変えました。プリクラ文化がすでに若者に浸透していたこともあり、「画質より楽しさを追求した」という開発チームの信念が強く支持されたのです。
「当時、羽田空港でSH07を触っていたら、受付の女性が“それ写メールですよね、私も使っています”と声をかけてきた。ミリオンセラーの手ごたえを実感しました」(植松さん)。


――さらに物語は、後編へ。