リリース

シャープ時代の回想録

~カメラ付きケータイの衝撃(後編)~

筆者 河内 厳


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苦しい開発現場と背水の陣~「とにかくお金がない」~

 
 大成功の裏には、想像を絶する困難がありました。当時のパーソナル通信事業部はPHS事業で苦戦しており経営が悪化、潰れかけそうな状況でした。「背水の陣で携帯電話をやる」との本部長の訓示を受け、PHSから携帯への切り替えを迫られていた時代。「研究材料費を他の事業部から1億円借りて、少しずつ開発部門に配っていた。とにかくお金がなかった」(山下さん)。
 
また、ドコモとJ-PHONE向けに2機種を同時開発するよう上層部から指示されたものの、リソースが足りず、絶対無理だと感じていたといいます。しかし、結果的にドコモが採用を見送り、J-PHONE一本に絞れたことで、開発を加速することができたそうです。危機感と現場の根性が、成功への原動力だったのです。 

デザインと音が生んだ記号性

 デザインや商品企画面でも独自の工夫がありました。「デザイナーがカーブミラーを見て自撮り用ミラーを思いついた」(植松さん)背面にミラー付き携帯が誕生。さらに忘れられないのがシャッター音。「カシャ」ではなく「ピロリロリーン」。公共の場でその音が響くことで「みんな使っている」と実感する記号性を持ちました。「盗撮防止のためシャッター音は消さないでくれとJ-PHONEに言われた」(長谷川さん)。それが逆に、時代を象徴する“音”になったのです。 
 

ついにドコモが採用、そして大ヒット~「なんでドコモにはないんや」~

 
 J-PHONEのカメラ付きケータイが爆発的に売れると、状況は一変します。「各地域のドコモ支社の社長たちが“J-PHONEがカメラ付きで大躍進しているのに、なんでドコモにはないんや”と本社に詰め寄る事態にまでになったそうです」(新井さん)。

 「ドコモが開発できるメーカーを探しており 、最初ドコモの反応は芳しくなかったが、『シャープは半年で出来ます』って言ってしまった。だけど根拠はなかったです」(大畠さん)

 実際には8か月かかったものの、ドコモ向け初のカメラ付き携帯電話「SH251i」が完成。この機種は3か月で150万台を売り上げる大ヒットとなりました。

品質トラブルの舞台裏

 
 苦労話で一番に出てくるのは、数々の品質問題でした。「J-PHONE向けの機種で、出荷3カ月後に筐体が割れる“ケミカルクラック”が発覚。30万台をリワークした」(山下さん)。「SH251iでは音が途切れる不具合が出て、原因不明のままドコモから詰め寄られた。結局は導電ゴムが汗で腐食するという予想外の原因だった。回収は避けられたけど大変だった 」(大畠さん)。 

 一歩間違えば全回収や数百億円規模の損失につながる瀬戸際。現場は常にプレッシャーと闘っていました。
  

生産現場を支えたチームワーク

 急激に需要が伸びる中、生産部門も大きな試練に直面します。「協力会社は最初は数社だったのが、一気に10社以上に。月産100万台に迫る時期もあった」(大畠さん)。 出荷前にトラブルが出れば、夜を徹してリワーク。管理職自ら作業ラインに入り、立会検査を乗り越えたといいます。 「広島の事業所は“誰かを責める”より“みんなで解決しよう”という文化だった」(山下さん)。 

 技術・生産・企画が一体となったチームワークこそが、数百万台規模のヒットを支えた大きな力でした。 
 

進化の歴史はスマホへの橋渡し


 やがて激しい競争に突入し 「J-SH07から次のネタ探しの苦しみが始まった」(長谷川さん)。この終わりのない探求こそがQRコード読み取り、SDカード対応、100万画素CCD、3D液晶 といった猛烈な進化を加速させます。 

 事業戦略では、圧倒的なスピード感と先見の明 をもった事業本部長・松本さんの功績は忘れてはいけない。 

 「キャリアに半年ごとに半歩先いく新しい機能を交互に提案し、優位差を生み出す」という戦略を強力に推進しました。 最後に参加者の言葉を借りれば―― 「通信とデバイス、そしてサービスが融合した瞬間、まったく新しい世界が立ち上がった。その化学反応と爆発的なスピードこそが、スマートフォン時代を切り拓いた“源流”だった」(長谷川さん) 
 それを受け、会場全体に共通していたのは――カメラ付きケータイが生んだ革新を過去の栄光ではなく、未来へのバトンとすること。そして次の世代に“世界を驚かせる瞬間”を築いてほしい、という願いだった。